【2017年12月の雑感➂】病気備忘録
▲今年の1枚から。中秋の満月。今月も満月がありました。朝早く起きて満月を目にするととても美しいと感じるとともに、こころが穏やかになります。
痺れと鼻血で過ごす年越しかな
■12月19日(火)に17回目の抗がん剤投薬に行ってきました。薬を1つ減らしているので2時間ばかりで終了。48時間の自宅投与のボトルを吊り下げて帰りました。2日間風呂に入れないのが苦痛ですが何とか終えて21日(木)に取り外しに病院へ行って、今年最後の投薬を終えました。
●同時に循環器内科の視察も受けました。抗がん剤投薬完了直後に移動すると胸が痛くなったからです。心電図では異常は認められなかったのでそのままにしていますが、前回、前々回と痛くなりました。先生は精密検査をしましょうかと提案されましたが、しばらく様子を見させてくださいと断りました。
●それよりも12月16日にひどい鼻血が出たので、「イグザレルト」という血液をサラサラにする薬を飲むのを休止している旨を伝え、今後も様子次第で休むこともあるという了解を得ました。鼻血が出るのは抗がん剤のひとつである「アバスチン」の副作用です。
●「イグザレルト」は胸に埋め込んだポートの廻りに血栓ができたので飲んでいます。これは前回のCT検査で減少しているのは確認できましたがまだ完全に無くなっていません。癌も抗がん剤の副作用とのバランス、血栓も鼻血とのバランスで薬の投与をさじ加減しなければならないのです。
■今回も22日(金)から25日(月)くらいまでは体がだるく、痺れもひどくなってきました。今回の投薬では痺れはあまり起きないという先生の話でしたが、いやいやひどくなっています。慎重に生活していますが、室内でも手袋着用でないと失敗をしそうです。
●鼻血もましになったので、「イグザレルト」を昨日26日(火)に再開しました。ですが、昼頃から鼻血がひどくなり血だらけのティッシュがごみ箱を埋めるので、家内から見えないようにしてくれとクレームが付きました。
●他には投薬後、3日間ほど便秘になりましたがその後回復しています。腸内をきれいにしようという意識が高いので、水分を多くする、生野菜を食べる、ヨーグルトを食べるなどの対策と運動の継続で回復可能でした。便の回数は日に2から3回と多いのですが内容は健全です。
●どうやら今年は「痺れと鼻血」で暮れそうです。1月に転移が確定して2月から始まった抗がん剤治療も2月と7月の入院を経て、月2回の通院治療を17回こなしてきました。途中、8月、9月、10月半ばまで副作用の悪化で休止がありましたが、何とか延命できたようです。
●来年1月にはCT検査を行います。その結果、2018年の治療方針が決まるでしょう。去年10月に先生に尋ねたところ「あと1年は大丈夫でしょう」と言われました。真っ先にこれでプロ野球も来シーズンは愉しめると思いましたね。(笑)また身辺整理の時間が十分あるのでマイペースでできると安堵しました。
●今日、12月27日(水)も寒波ですごく寒く感じます。朝のルーティンはこなしましたが寒風が身に染みました。血圧測定も上が150超、下が100超と高めです。用心しながら電気ストーブを足元に置いて、手袋をはめてパソコンをたたいています。(指先が破れているので操作可能です)
●今年の病気備忘録は今日でおしまいにします。「不可逆的」(元に戻ることができないこと)になった『末梢神経障害』が今年の記憶に残る出来事でした。運動神経と感覚神経があるというのも今年学びました。ですが【痛み】が無いことが何よりです。私は痛みに弱いので来年もそのような症状が出ないことを祈るばかりです。(神に祈るというより、自分自身の体に頑張れと期待する気持ちです)
■24日(日)に競馬の有馬記念に久々に熱狂しました。60年近い競馬ファン歴でも5本の指に入る「キタサンブラック号」へのシンパシーのせいで、ゴール前300ⅿを「そのまま、そのまま、それいけ」とテレビ桟敷で叫んでいました。
馬券は外しましたが、めったにない『われを忘れさせてくれた』ことへの満足に感謝です。
●昨夜はキタサンブラック号に関する関西テレビの特番を録画しました。30日はNHKで午後6時5分から特番があります。記念に録画します。「後の祭り」を楽しむのも馬券を離れた競馬の楽しみ方です。この馬の魅力についてじっくり味わいたいと思います。
●今日、BS1で夜7時からドキュメント「戦慄の記録 インパール」が再放送されます。ぜひ録画してでもご覧ください。日本陸軍の愚かさと指揮官たちの無能と無責任により多くの兵士が無念の死に追いやられたことが分かります。牟田口中将の傍で記録係として働き、生き残った90歳を越える方が車椅子で最後に「悔しい!」と振り絞る声で涙ながらに叫ばれる姿に私は涙しました。
そして生き残りながら反省と謝罪をしなかった牟田口中将ら当時の「幹(患)部」に怒りの気持ちと、自分自身の反省も重ねました。<完>
- 登録日時
- 2017/12/27(水) 11:58