【2018年1月の今月の雑感⑤】
▲富士山。高みを目指して頑張る人には最適のイメージですね。もう長い間実物を観ていませんが、冬の富士山は雲がかからず見事に見えます。箱根から観た富士が印象的でした。
努力を持続可能にする才能
■1月29日(月)、大相撲初場所が終わってしまいました。今日からまたしばらく夕方のテレビ桟敷はお休みです。寂しいですね。ふがいない横綱たちの中で鶴竜力三郎が復活したのは嬉しいことです。後半の相撲は先々に不安を抱かせましたが、今年は頑張ってくれるでしょう。(期待を込めて)
●それより稀勢の里が心配です彼の廻りには有能なスタッフがいないのでしょうか?昨年のリハビリは何をしていたのでしょうか、また相撲内容(技術面での改善・強化はしたのでしょうか?良い方向への努力不足しか思えませんね
●稽古をするという努力はしたのでしょうが、ただ番数だけ増やしても意味がありません。番数も怪しいもので、調整と称して十数番で来たのを場所直前に、元兄弟子の西岩親方(元若の里)に「横綱だけど30番40番と泥まみれになって稽古しなければ」と言われ、急遽高安と猛稽古したそうです。(ネット情報)
●その結果、3日目には息切れがしてそこから3連敗です。直前にやり過ぎでしょう。相手に対する研究不足も明らかです。休んでいる間に周りはどんどん成長していきます。大関時代と同じ相撲しかできないなら、けがの影響もあって弱体化するのは当然です。
●彼はこのままでは史上最弱の横綱の汚名を背負って引退となるでしょう。在任中に逃亡した双羽黒は別として(元北尾)、通常の相撲取りでは前例がありません。大阪場所に進退を掛けると言っていますが、それすら軽率です。ある程度の自信を取り戻してから発言すべきです。
●精神面、技術面、体調という『心・技・体』のレベルアップなくして復活はありえません。間違った努力は成果につながらないのは誰もがわかることです。周りも含め、今場所優勝した『栃ノ心関』の何が良くなったのかを学び、そこから課題を見つけて『努力』してもらいたいものです。
●それにして、『栃ノ心関』は【大あっぱれ】です。相撲内容は大関級です。こちらも慢心せず、さらに上を目指して精進して欲しいですね。今年中には大関になれると思います。『努力が持続可能なら』という条件付きですが…。
■前回書きましたメゾソプラノ歌手『脇園 彩さん』について。
朝日新聞の1月16日(火)の記事から。今春の大阪国際フェスティバルでロッシーニのイタリアオペラ「チェネレントラ」に主演するオペラ界の超新星「脇園彩」という見出しで紹介されました。
●彼女は現在29歳ですが大学院2年の時、イタリアの至宝、ソプラノ歌手のマリエッテ・デービアのマスタークラスで学ぶことに。しかしそこで、コテンパンに打ちのめされたそうです。そしてデービア先生に尋ねました。
●「どうしたら先生みたいな素晴らしい高音が出るんですか」するとデービア先生の答えは、「東京にはたくさんの高層ビルがあるでしょう。でもね、高層ビルは上から建てないでしょ」60歳を超すディーバ(オペラで主役を務める実力と人気を兼ね備えた歌姫のこと)の至言に震えたそうです。
●「もうそのフレーズは一生忘れません。歌声に人生のすべてが詰まっている。私の天使のような方」と脇園さんは答えました。
●その後脇園さんはイタリアで学ぼうと決心し、以来4年間言葉の壁に苦労しながらも、ロッシーニが描くオペラのヒロインたちに共通する「難しい局面でも、彼女たちは悩まないで策を練るんですね。誰も傷つけずに前に進むというか、ひたすらポジティブな姿に教えられことが多い」に勇気づけられて頑張りました。そう、努力を継続したのです。
●もうひとつ彼女には武器があるそうです。ロッシーニを歌う時に欠かせない「アジリエタ」という超絶技巧です。意味はわかりませんが(笑)、細かい装飾的な音型を速く粒立てて歌う歌唱法が見事らしいのです。天性の才能のようです。脇園さんはそれにさらなる磨きをかけているところが凄いのです。
●彼女の凄いところは、先の栃ノ心関と同じく異国の地で「言葉の壁に挑戦したことです」言葉が通じなければ学ぶことはできません。持って生まれた才能を磨き、花開かせるには困難をも克服するという『努力し続ける才能』が必要なんですね。
●特別な才能に恵まれなくても凡人である普通の人々にも、ほとんどあるのが『努力し続けられる才能』だと思うのです。この才能があるからといっても必ずしもすべての人がその人生において成功するとは限りません。
●ですが、私の人生を振り返っても「努力し続ける」という行為は欠かさなかったと言えます。お相撲さんも「勝敗の前に自分の相撲を取り切りたい」「それでお客さんに喜んでいただければ」とよく答えます。ですが、勝負の世界に生きる力士には物足りません。凡人の私とは違うのです。
●脇園さんもプロのオペラ歌手としては、観客を喜ばせ満足させるディーバになるのが目標でしょう。自分の目指す気高いタワーを完成させるべく日々努力されていくものと思います。
●栃ノ心関の大怪我から復活優勝するという才能と脇園彩さんの素晴らしい才能に敬意を表しながらも、特別な才能に恵まれていなくても共通する『努力し続けられる才能』を誇り、凡人は凡人としてそれぞれの人生を全うしようじゃありませんかと提言したいですね。
■最後に「脇園 彩さん」をネットで検索していて見つけた音楽評論家の香原斗志さんの脇園さんへのインタビュー記事から印象に残った部分を掲載しておきます。
●「前に進めば進むほど、自分がなに者なのか、自分がなにをしたいのか、ということは明確になってきます。すると自分の心に余裕が生まれ、舞台上でも自分を客観的な目線で見ることができるようになる。この心の余裕のようなものに、人は引かれるのではないかと思っています。私は若いころ、きらびやかなキャリアに憧れましたが、実はキャリアを築くことといい歌を歌うことは別物だったんです。自分にうそをつかずに、自分が目指したい音楽をいつでもできる芸術家になりたい。そして本物を作りあげたいし、本物といえる人とつき合っていきたい」
●「日本人の謙遜する文化はすばらしいけれど、引きすぎると、こちらでは“それでいいんだ”と受けとられてしまう。自分を知って、同時に自分の周囲がどうなっているのか客観的に知ることです。また、芸大時代から疑問視していたのは、『オペラ科はバカでいい』という風潮です。大事なのは世界を知ること、本を読むこと、言語を学ぶこと、そして新しいことを学ぶこと。その好奇心がたぶん一流の歌手に必要な要素のひとつで、実際、一流の人たちを見ていると、みんな常に新しいことを探し、挑戦することをやめません。それと主役を歌う歌手と準主役級の歌手とでは、キャリアの作り方が違いますね。主役を歌う歌手は、自分をより追い詰めていける人じゃないと難しいと思う。舞台に立った時に“自分はここにそぐわないかも”と思ってしまったら終わりです。そんな人の歌は聴きたくないじゃないですか」
●すごいなと感心する言葉です。まだ29歳の脇園さんのこれからの成功を祈ります!ぜひ一度舞台を拝見したいですね。
それとロッシーニって今年で没後150年だそうです。明治維新と同じ年、そう大政奉還の年に亡くなったのですね。それがどうしたと言われそうですが。(笑)<完>
- 登録日時
- 2018/01/29(月) 16:33