絵
上:「自画像」油彩
下:「光へと向かう踊り手たち」1997年 リノカット、紙
★コミュニケーションからうまれる家族の肖像
そんな「マラフィキ」を創設しようと思ったきっかけは、ンジャウが日本で生活する日々のなかで、日本人のコミュニケーションの欠如を感じたからだという。「彼らは近所やお隣同士でも会話をしないし挨拶さえしないときがある。友達をつくることの大切さを彼らは学ぶべきだよ。いいかい?人々が大勢いても君を助けてくれるのはたった一人の友達だけだ」。
コミュニケーションの必要性は、日本社会における家族のあり方についてもいえる。最近では子どもが親を殺害する、あるいは親が子どもを殺害するという事件が相次いでいるが、そのような異様な状況についてどう思うか問うてみた。「あってはならないことだ。家族にとってコミュニケーションは勿論大事だけど、それ以上にお互いを尊敬しあうことが大切。それは他の文化や国に対しても同じだよ」。
ンジャウの「自画像」という絵の背景には、我が子を抱いて幸せそうに笑っている母の絵が描かれてある。それは、幼い頃の自分自身と母親をふとイメージして加えたものだという。「僕の母は小学校教師だった。色々なことを僕に教えてくれた。悪い会社で働いてはいけない、良い人と悪い人を見分けなさい、ドラッグをしてはいけない、物事は自分で見極めなさいってね。政治家だった父は去年他界したよ。父はよくワニの話をしてくれた。ワニはいつも「ニッ」て笑っているだろ?でも中身は獰猛でいつ襲ってくるか分からない。人は表面では笑っていても中身は敵の場合もあるということさ。良い友達が急に敵になることだってあるんだ」。
この父の教えが、のちに「真の友情」の大切さを発信し続けるンジャウの姿勢につながっていくのである。
母親が住む故郷タンザニアには、次はクリスマス前後に戻る予定だという。「クリスチャンの僕たちにとってクリスマスは家族の一大イベントなんだ。スウェーデンやノルウェーにいる兄妹も全員集合するんだよ」と、とても嬉しそうに語った。家族のつながりは海を越えてもなお切れない強い絆で結ばれている。「親の幸せは子どもがそばにいること。それはどんな病気でも治す薬のようなものだよ」。
ときには友達のように、ときには父親のように接してくれるンジャウのあたたかい温度は、一枚の絵を通して家族を伝い、友人を伝い、日本社会の人びとを伝い、そして世界中の人びとへと伝っていく。そしてその先に、彼の、あるいは全人類の理想的な肖像画が、目に見える形で浮かび上がってくるにちがいない。
★描き続ける世界へのメッセージ
変化し、試行し、主張していくンジャウ自身と彼から生み出されるアート。今後、どのような絵を描いていこうとしているのかを尋ねてみた。すると、「アゲインスト・ザ・ワールド(世界に対抗するもの)」と即答で返ってきた。「僕の人生は“争いに立ち向かう自由”といってもいいくらいだ。自由は争うことではない。自由とは平和なんだ。平和が存在するならばオサマ・ビンラディンもアメリカを敵だと思わない。人々もブッシュが正しいとは言わない。アメリカは権力とお金のために戦争をして、そのために多くの人々が命を落とした。馬鹿げているよ、クールじゃない。戦争っていったい何なんだ?戦争をする人たちには愛も平和も存在しないのさ」。
「ゲルニカ」という作品を描いて戦争を批判したピカソのように、ンジャウもまた、戦争という人類の脅威に立ち向かおうとしている。さらに、彼はこう続ける。「この世界は何もかもが分断(divide)されすぎている。人間と自然さえもだ。人間は自然を守っていかなければならないのにどんどんだめにしている。分断することは色々な問題をもたらすことになる。戦争さえも引き起こしてしまう。僕たち人間は心を一つにする必要がある。(スワヒリ語でさらに強調して)スィヨ・モヨ・ムウィリ、ンディヨ・モヨ・ンモジャ(心は二つではない、心は一つだけだ)」。
ンジャウ自身は実際に戦争を体験したわけではないが、移住経験や西欧・アフリカ諸国の旅を通して国籍や人種の異なる様々な人たちと関わりあうなかで、計り知れない人間同士の醜い争いや差別を目の当たりにしてきた。それらの体験が、彼を自由と平和への追求へと動かし、さらにそれは個別性という枠を超えて普遍性への追求となり、その捉えどころのない苛立ちと不満がバランスの取れた温度とうまい具合に調和し、何ともいえない優しさと寛大さに満ちた抽象画となって表れるのであろう。
人間、世界、未来に希望を託す、彼自身の夢とは何なのか。「もっといい絵描きになること。それに、自分の本を書いてみたいしミュージアムもつくりたい。若い人たちにもっと僕の絵とアートの魅力を伝えていきたいんだ」。最後に、趣味は何ですかと聞いてみた。「絵を描くことだよ(笑)。そう、絵は僕の人生そのものだからね。絵を描くこと以外には、そうだな、森の中を散歩するのが好きだね」。
仕事も趣味も人生でさえも、決して一つの枠組みにおさめるわけではなく、かといってアイデンティティを失うことなく独自の視点を貫き通すンジャウの生きざま。彼のそのような生きざまと人柄が、作品のなかにもそのまま表れているような気がした。
過去から現在へ、現在から未来へと連続する人類の壮絶なドラマが、無限の可能性をもつ「ンジャウ・アート」に今後どのように影響していくのか。そして、ンジャウから放たれた世界に対する辛辣な光が空白のキャンバスにぶつけられたとき、そのキャンバスからはね返されたメッセージを、われわれはいかに真摯に受けとめることができるだろうか。
参考HP (ジュリアス・ンジャウHP)http://www.julius-njau.com/index2.html
参考文献 白石顕二.2006.『アフリカルチャー最前線』.柘植書房新社.
(2007年10月31日)
- 登録日時
- 2008/08/16(土) 17:10