【2012年12月の提案④】
協調性について考える
● 今回は経団連アンケートで第3位にあげられた「協調性」について考えてみます。前回の終わりに平野耕一郎先生の『「最高の自分」を創る法』を参考にしてと書きました。ですがその前に私の思考パターンである辞書を紐解くことから始めます。
● ウィキペディアでは以下のように書かれています。「協調性とは、異なった環境や立場に存する複数の者が、互いに助け合ったり譲り合ったりしながら、同じ目標に向かって任務を遂行する素質」
● この文章を基に少し掘り下げてみましょう。
● 協調性が必要なのはまず「複数の人間」の存在が条件です。その人たちが「共通する目標に向かうとき」というのも条件です。そのためには「助け合う」と「譲り合う」という行為が求められるのですね。
● ということは、一人で完結する仕事をしている場合は協調性の必要がないと言えます。このことは複数の人間が一緒にいても、共通の目標にむかっていなとか、ライバル関係にあるときも不要ですね。
● 営業では、チームで仕事をしていないときなどは一緒に働いていても必要ないということです。
●「助け合う」というのもチームワークが必要な場合に求められるのでしょう。「譲り合い」もそうでしょうね。意見が対立した時にどこかで譲り合って妥協点を見出さなければ事は前に進みません。
● ということは、「協調性」が求められるのは日本の多くの企業がチームワークで仕事をするからなんでしょうね。そういう仕事の仕方をしないところでは「協調性」の優先順位は低いはずです。ですから前提として「仕事の仕方」を確認する必要があります。
● そのうえで自分は「助け合って」仕事をすることが得意かとか、時には「譲り合う」という精神と方法を持ち合わせているのかを見極めねばならないでしょう。
● 採用する側は何をもって「協調性」の有無、強度を確認するのかはわかりません。おそらく何かゲームでもさせて、その協働作業の過程での言動、態度を観察するのでしょうか。これは私の推測ですが効果のほどは疑問です。
● ここで平野先生の著書を見てみましょう。「最高の自分」を創る法の218Pに以下のような記述があります。『「主体性」と「協調性」のバランスが重要』という小見出しがあります。
● この項目で平野先生は「協調性」について。前回までの「主体性の発揮」との関連で説明してくれます。以下抜粋を交えながら学んで行きましょう。抜粋部分は「 」で記述します。
● -前略-「この【主体性の発揮】【周囲との関係】【協力の結集】という関連の中で、1つの前提基盤となる最重要の要素が『協調性』や『協力性』、そして『調和』や『バランス』という本質への感覚や資質であります。」続いて・・・
●「【協調】ということの現実的な本質の一つは『譲る』という土台にあるといってもまちがいではないでしょう。ところが【譲る】ということの延長には落とし穴があるのです。」
●「それは、【何でもかんでも譲る、何でも周囲に合わせすぎてしまう】ということの結果として、いつの間にか自分を失うハメになり、そのうち何をしているのかわからない・・・というような、ただ流されるだけのあり方に陥ってしまう点であります」
●「すなわち、これが『主体性の欠如』という本質をあらわすひとつの姿なのです。これを象徴的に表現した典型の一つが、イソップ童話におけるかの有名な【親子とロバの話】です。」
● <主体性のない人のたとえ>
●「ある親子がロバを売るために市場に行く途中、ロバを空身で引っ張っていると、『頭を使っていない』と批判され、こどもを乗せると『親を歩かせるとは不孝者』と批判され、二人で乗ったら『ロバがかわいそうだ』と批判され、二人でロバをかついだら『バカか』と言って笑われ、その声に驚いたロバが暴れて川に落ち、流されてしまい、親子はロバを失う結果となった・・・というものです。まさに【ただ流される】というあり方の寓話的なたとえであります」
● -中略-「主体性について補足すると、自分としての【譲れない・動かせない考え】を貫いていくことが、主体性の1つの裏付けとして欠かせないという点です。」
●「ところがこの【譲れない範囲】を欲張りすぎると、譲らずたたかうという対立を生み出します。この対立することが【協調性の欠如】ということになります。」
●「こうしてみますと『主体性』と『協調性』というのは一見逆向きにあり、いかにも矛盾を起こすような相関関係にあるごとき性質を帯びているわけです。」-後略-
◎ ここで『相関関係』という言葉がでてきましたのでちょっと寄り道を。
相関関係とは2つのもが密接に関わり合い、一方が変化すれば他方も変化する関係のことです。同時に『因果関係』というのがあります。因果関係とは原因と結果のつながりです。
◎ Aという原因がもとで、Bという結果が生じた場合、AとBには因果関係があるといいます。
◎ 相関関係は因果関係とは同じではありません。相関関係は因果関係の単なる必要条件の一つです。
● -中略-「相手や周囲の主体性そのものを無視したり軽視するところには【真の主体性】は成り立たないわけで、あくまで他の主体性を尊重する前提でこそ、自分の主体性も本物になるはずです。」
●「また同時に、真の協調性というのは、互いに主体性をしっかり確立してこそ、双方の間の調和的接点を見いだせる、という前提で成り立つ性質のものであります。」
●「この2つは本質的、原理的には矛盾どころか、むしろ相互依存や相互補佐の関係になるということです。」
● -中略-「やや極論的に割り切りますと、主体性とは主として【譲れぬ側】に立つ性質のもので、協調性とは主として【譲れる側】に立つ性質のものであるということができるでしょう。」
●「したがって。主体性と協調性のとの間の実質的なバランス問題というのは。まさに【譲れぬ】と【譲れる】の兼ね合いの問題になり、もっと端的にはその分け方の問題になってくるのです。」-後略-
●「ではその区分けの【基準】は何かというのがその具体的急所になるわけですが、実はこれには一律の客観的な物差しがないと言ったほうが良いでしょう」
●「参考にすべき考え方として、『大事を貫くために小事を譲れ』という指針があります。要は、大事は譲れないが小事は譲れる側に含めよという考えです。そして大事は狭めておいて、小事は広めに取るほうがバランスや調和がとりやすくなります。」
● 以下は要約です。
● 大事は譲らず貫徹、あくまでたたかう。これを譲ることは「屈服」や「放棄」につながります。これは避けるべきです。一方小事は譲ることもある。それが妥協であり強調することになります。
●「妥協」というのは【譲れる範囲で譲る】ということを指しており、これは『協調の技術』です。これに対して【譲れない範囲を譲ってしまう】ことを「屈服」といい、これは主体性の「放棄」につながります。
● 平野先生は、両者は本質的に異なることだとおっしゃっています。今回の衆議院選挙前での「日本維新の会」と「太陽の党」と「みんなの党」の交渉は石原慎太郎氏の『大事を貫くために小事を譲れ』をきっかけに行われた事例ですね。実態はどうであったかはわかりませんが、この場合は論理だけでなく感情や力関係も働いたのでしょう。
● 協調性については、主体性と相関関係にあるという捉え方が必要だと学びました。協調とは譲ることというのも理解しやすい定義です。また協調するには「妥協という技術」があることも学びました。妥協と屈服・放棄の違いは大事と小事で使い分けること、これも参考になります。
● 本書では第5章の「対比思考」、「多面的思考」が実践的です。とくに「立場」について考えをめぐらす具体的手法は素晴らしいです。できている人にとってはあたりまえのことですが、ご存知ない方はぜひ一度触れてみてください。
● ここまで経団連のアンケート結果に触発されて「コミュニケーション能力」、「主体性」、「協調性」というビジネスパーソンに求められる能力と資質について掘り下げてきましたがこれで一旦おしまいにします。<完>
- 登録日時
- 2012/12/27(木) 16:45