▲前回に続いてモンキー蘭のアップです。今日の私には、ベートーヴェンの猿マネはいかんと言っているように見えます。
【2014年2月の雑感②】
佐村河内 守氏の事件【欺瞞による栄光と挫折】
●私はクラシック音楽が好きです。ですが楽譜は読めませんし、演奏の善し悪しもよくわからない素人ファンです。
●今月1日(土)に会員となっている兵庫芸術文化センターの名曲コンサートに出かけ、いつも以上に演奏に感動して来ました。楽曲はオール・ベートーヴェンプログラムです。
●曲名は「コリオラン序曲」、「ピアノ協奏曲3番」、「交響曲5番 運命」でした。
このプログラムのミソは3曲ともに「ハ短調」だということです。
●クラシック音楽には「短調」と「長調」があります。ですがその違いは何なのかも知らないで聴いています。まさに自分の感覚だけで感情が揺さぶられことに満足しています。仕事では言葉の意味やそのねらい、構成・構造・流れなどを重視するのに、音楽の趣味では論理はほぼ無視です。(笑)
●そういう私でも、べートーヴェンの音楽にはこころを揺さぶられます。ましてやこの日の演奏を力いっぱい演奏してくれた若き指揮者・演奏家たちに感謝していました。そのことを書き始めたところ、6日(木)に驚きのニュースが飛び込んできました。
●それはクラシック音楽ファンでもないみなさんでもニュースでご存じだと思いますが、全聾の作曲家として知られていた佐村河内 守氏に関する事件です。
まるで故松本清張の小説を思い起こさせるような出来事です。
●18年の長きにわたり佐村河内氏は自分では作曲しないで、ゴーストライターである音楽家の新垣 隆氏に依頼していたということです。このことは新垣氏が6日発売の週刊文春のフリーライターに語った記事がきっかけで発覚しました。
●新垣氏は同日、マスコミの共同インタビューに答えるという形で、午後3時から1時間にわたって記者会見をしていました。
●その内容はYOU TUBEでアップされていますので、私は今日(8日)に見ました。主な内容は佐村河内氏の作品といわれていたものは、実は新垣氏がゴーストライトしたものであること。しかし、新垣氏が全てを一人で作曲したわけではなく、佐村河内氏のコンセプト提示によって共同で作ったということです。
●もう一点、佐村河内氏は全聾であるとされているが、新垣氏によればそれは演技であって、耳は聴こえていたと思うというショッキングなものでした。
●また佐村河内氏は楽譜が読めないし、書けない、ピアノも初心者程度というもので、およそ無から作品を生み出す力は兼ね備えていないということです。ただ曲のイメージを伝えることはできたようです。
●しかし、これらは新垣氏の発言であって真実かどうかはわかりません。ただ今日(8日)のネットニュースでは、佐村河内氏が作品の楽譜を出版して、他の音楽関係者にレンタルしている会社に、週刊文春の記事をコピペしたものをメールで送り、この内容は事実です、申し訳ありませんと伝えたということです。
●私もユーザーとして、交響曲1番HIROSHIMAのCDを購入しましたし、他の作品もレンタルで借りてコピーしています。ですがまだ聴いていないので作品の感想は言えません。(苦笑)
●事実なら「人を騙して金儲けをしてはいけませんね」。残念です。以前にテレビで佐村河内氏のドキュメントを何回か見た記憶があるのですが、詳しくは覚えていません。子供のころお母さんが厳しく音楽の練習をさせておられたシーンがあったように思います。
●その彼が耳が聴こえなくなっていったのは気の毒だと思いました。頑張れという気持になったのは確かです。ただ「現代のベートーヴェン」というマスコミの取り上げ方には抵抗がありました。あの偉大なる(と私は思っています)べートーヴェンと同じとは怖れ多い。それが率直な気持ちでした。
●彼はテレビの中で、オーケストラ志向であって、交響曲は1番以外にもあと4曲ぐらいはあらかた出来上がっていると期待を持たせる発言をしていました。そういうものが発表され、良い評価を受けてこそ、たとえが許されるのではと思いました。
●今後ご本人が釈明の会見をされない限りマスコミの追及は続き、週刊誌が喜ぶだけだと思います。ぜひ説明責任を果たされるべきでしょう。ですがどうやら今日の栄光は消え去り、大きな挫折を味わうことになるのではないでしょうか。ことが事実なら当然ですが。
●この件に関するネットニュースで私が興味深かったのは次の2つの記事です。まだお読みでない方で興味があれば下の記号をクリックしてお読みください。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140207-00032412/
2本目の江川紹子さんの記事は上手くコピーができませんので、上記の記事からアクセスしてください。まだ掲示されています。
●法政大学の水島宏明教授の記事で共鳴したのが、テレビドキュメントを制作した人々は、反省の意味をこめて「なぜ自分たちは嘘を見抜けなかったのか、つまり騙されたのか」をドキュメントすべきという提案です。これは興味深いですね。視聴率がとれると思うのでぜひやってもらいたいですね。
●佐村河内氏を責めるのは簡単です。それよりも見抜けなかったのはなぜか、取材に密着していながら演技に騙されたのか、そこには取材側の先入観や思い込みがなかったのか、素朴な疑問は湧かなかったのか、など様々な視点で検証してもらいたいものです。それは多くの人にとって役に立つと思います。
●江川紹子さんの記事はご本人が共同会見場に居られたし、質問もされていましたから、流石の内容だと思います。短時間でこれだけの文章を書かれるのはプロならではですね。
●その中で私も共感を覚えたのが、佐村河内氏と新垣氏の関係です。私の解釈は18年の歳月ですから、気軽に始まったものがやがて協働で仕事をして情熱を傾け合うものになり、それが曲の成功とともに佐村河内氏の支配欲が強まってきたのではないかということです。
●協働作業をした者同士は仲良くなる確率は高いですね。しかしお互いが良きパートナーである時代は長くなく、やがて一方が支配するようになることがあります。片方がそれに服従した方が居心地が良いと、その支配と服従の関係は強まります。
●ですがそれも長く続くと嫌になるのも人間です。また支配者の行動に厳しい目を向けるのも当然の成り行きです。佐村河内氏の黒ずくめのファッション、風貌に対して真面目で小心そうに見える新垣氏から推測すると、この支配と服従の関係が成立していたのでしょう。それが佐村河内氏の暴走によって亀裂が入り出したのではないでしょうか。
●虚像を重ねる支配者に危惧を覚えるのはまともな人間なら普通のことです。新垣氏の良心がある一線を越えて告発に向かったのだと推測します。一方、支配者である佐村河内氏の良心は麻痺し、虚像と実像の見境がつかない状態に陥っていたのでしょう。そこをまさに「高転び」させられたのだと思います。
●最後に共同インタビューの映像を見ていて気づいたことがあります。それは
司会者が、マスコミ各社に時間が限られているので1社1問に願いますと言っていたのですが、インタビューする記者はかまわず2問、3問としてしまいます。
●何度か注意をされるのですが聞く耳を持つ人とそうでない人がいます。馬鹿だな思ったのは、1人が複数の違う種類の質問をすると新垣氏は質問を覚えられないので答えに詰まること。これは緊張のせいもありますが、普通に落ち着いていても答えているうちに他の質問を忘れるものです。
●ですが、1つの質問を掘り下げる質問をすれば答えられるし、知りたいことの理解が深まります。1つのことを3ステップぐらいに掘り下げることは、質問でも発表でも相手に理解されるには必要なことです。
●短時間では種類の違うことを複数、項目羅列型で質問したり、発表するのは間違いです。伝わりにくいからです。このことは、役に立つと思いますので気をつけてやってみてください。
●お二人とも残念な人生になってしまいました。これからどのようにされるのか、自分の人生もままならぬものが心配することではありませんが、気がかりです。特に新垣氏に判官贔屓かシンパシーを感じます。<完>
- 登録日時
- 2014/02/09(日) 10:09