今月の提案 『今年の目標の決め方』
■新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年11月上旬以来ご無沙汰をいたしております。「月刊TSURUSAKI」ということからすると目標が達成できておらず申し訳ございません。反省いたしております。
■ そこでまず反省について。「反省すれども後悔せず」という格言があったと
思います。済んだ事はくよくよしないで、前向きの行動できるように過ぎ去りし過去を振り返るという意味だったと記憶しています。
■あやふやではいけないので「反省」についてちょっとネットで調べてみますと次のように記されていました。『自分のしてきた言動を振り返りみて、その可否を改めて考えること』『自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えること』ウィキペディアでは『一般的には自らの行動に関して考え、ある評価を下すこと。あるいは自己の心理状態をふりかえり意識されたものにすること』とありました。
■反省の定義を考えますと、主体は「自分の言動について」ふりかえることであり、自分が立てた目標に対して成果はどうであったかを評価し、その成果の要因は何であるかを考えることだと思います。『自分の意思に対する成果を確認し、評価してその要因を自分の言動に求める』ということではどうでしょう。
■そうすると、自分の意志(目標)そのものは良かったのか否か、良いとすればそれに対する結果の評価、良い点は何か、拙い点は何か、それはなぜかという要因を自分の言動の中にもとめるという3つの行為が必要になります。
■ところがもうひとつの視点として、自分の意志とはかかわらず自分の言動が他人にどのような影響を与えたかをふりかえる必要があると思います。それは関係のある人々の反応により類推するしかありません。全てを認識することは困難ですが、自己中心に陥らないために必要なことでしょう。
■反省をしたら今年はどのような目標を立てて行動するかを考えます。そこで今年は、自分の人生の領域について考えをめぐらしました。人生の領域については、以前から「仕事」「家庭」「趣味」「健康」の4つについて意識はしていました。
■ところが、今までは「仕事」についてのみ考えることが多かったようです。仕事については目標設定、計画化、行動管理、反省というサイクルで動いてきました。しかしその他の領域については出たとこ勝負でしたね。
■今年は仕事以外の領域についても考えた末、6つの領域で目標設定をすることにしました。なぜ6つにしたのか、何を2つ増やしたのか、その動機は何だったのか、それは先の「反省」と関係があります。
■「仕事についての反省」を行った際、さてこれからいかにすべきか、行ってきた言動の良い点は「強化」し、拙い点は「改善」し、そして「新たに取り組むこと」を決めたところで、自分の人生のその他の領域についてはいい加減だなあという事に気づいたのです。
■家庭における家族との関わりの希薄さ、趣味に対する中途半端な取り組み、健康に至っては大丈夫という思い込み、等々を考えるうちに、知人・友人の人脈はどうか、資産の運用はこのままでよいのかと考えるに至りました。
■今年から約3年(1,000日)はこの6つの領域について目標を定めて生きてみようと決めました。そうした過程で6つの領域が3つずつに分類できることがわかりました。「仕事」「家庭」「人脈」は自分以外の人のために役に立たないと存在価値が薄いなと、しかし「趣味」「健康」「資産運用」は自分のことを考えて、自分中心に行動できるのだというように解釈しました。
■あとは、時間とお金のかけ方を配分しなければなりません。今は仕事にかけるウエイトは高いのですが、将来は構成比が変わることも予想に入れました。
このように考えるとビジネスを考えているように楽しくなります。しかし「考えるのは簡単だが実行し、継続して成果につなげるのは難しい」という
経験則がささやきかけます。
■よーく承知の上で取り組みたいと思います。具体的な目標設定の内容は書きませんが、6つの領域のウエイトを決めて、取り組んで行きたいと思います。
■これって当社発行の「きほんからわかる『モチベーション理論』」の5つめ
の【目標設定理論】に該当するのでしょう。ここでは目標の「困難度」と「明瞭性」が動機づけの根拠にあげられ、条件として「本人が目標を受け容れている(納得している)こと」とあります。「困難度」には疑義がありますが、その他は納得です。困難な目標にこそやる気の源泉があるのかどうかは、私なりの実証を試みてみたいと思います。
■さて、読者の皆様はどのような今年の目標設定をされましたでしょうか?
年が改まったからというので目標設定するのではなく、会社の年度に合わせてやるものだとか、毎月、毎週、毎日の目標設定と実践で精一杯だ、そもそも目標設定など不要だという方も、それぞれの意思で人生は動いていくようです。
■100年に1度の危機といわれる経済状況のであろうと私たちは生き抜いていかねばなりません。生きている意味など求めなくても死ぬまで生き抜くことは全ての生物に与えられた宿命です。
■皆様にとって素晴らしい1年になりますよう祈念いたします。
<完>
- 登録日時
- 2009/01/08(木) 20:45