【2016年12月の雑感②】
▲スミレの花。花言葉は「小さな愛」「小さな幸せ」「誠実」です。可愛いですね。
残念!浅野内匠頭
■先日テレビで忠臣蔵(赤穂事件)の吉良邸討ち入りを古舘伊知郎さんの実況中継という試みで放送していました。ゲストにタレントの伊集院光さんや女優の名取裕子さんそれに歴史家の磯田道史さんが居ました。(他に若いタレントさんが居ましたが)
●キワモノ番組かと思いましたが、磯田先生のファンなので観てみました。結果、なかなか面白い仕上がりになっていたと思います。番組の紹介は以下のURLをクリックして参照ください。
●http://www.tv-asahi.co.jp/talking_history/
●毎年12月半ばになりますと「忠臣蔵」関連のテレビ番組が放送されます。長年生きてきた私(笑)も何度か映画、TVドラマや特集物で観てきました。小説では森村誠一、池宮彰一郎、湯川裕光、加藤廣、歴史読み物では井沢元彦、野口武彦氏らのものを読んできました。(他にも読んだかもしれませんが忘れました)
●観たり読んだりの動機は単なる好奇心です。仇討ち(復讐)の物語は興味をそそります。概ね大石内蔵助以下四十七士の仇討ちまでの2年近くの艱難辛苦の物語はいくつものドラマがあって、惹きつけられました。
●私が一番印象に残っているのは大石たちが江戸へ上る道中で「垣見五郎兵衛」と他人の名前をかたり本人に出くわしばれそうになるシーンです。ここでの大石と本物の垣見との対面シーンでは胸が熱くなります。(創作でしょうが)
●今回の放送は新しい演出で制作されており果たしてどんな仕上がりかに興味が湧きました。結果はなかなか面白かったですね。古舘さんの実況もさすがプロです。
●内容も、赤穂側の討ち入り計画の緻密さと準備力の凄さがクローズアップされ、これはビジネスマンにも大いに参考になることでした。さらに吉良側の使用人100名ほどが長屋に住み込んでいましたが、侵入と同時に扉に閂を打ち付けて封じ込めるという作戦を詳しく描いていました。
●これらの内容はすでに文献では書いた人が居たので私は知っていました。知らなかったのは吉良上野介が炭小屋ではなく台所の横に潜んでいて、傍には清水一学と山吉新八が守っていたということぐらいです。
■今回、本文を書こうとしたのは磯田先生が解説の中で「浅野内匠頭が松の廊下で吉良を仕留めていれば、その後に討ち入りもなく多くの人の命が失われることもなかったろうに」とおっしゃっていたことに「わが意を得たり」と思ったからです。
●そもそもの原因は殿様(浅野内匠頭)の失態にあります。これもドラマでは内匠頭の堪忍袋の緒が切れる要因が吉良の数々の意地悪にあって、それに必死に対応するがついには我慢の限界で『自分の意地をとおす』道を選ぶということになっています。
●しかし、なぜ吉良は内匠頭につらく当たったのか、それを考えると先日長谷川平蔵のところで書いた「正義感と責任感」が上手く働かなかったと思われます。その要因に考えられるのが、野口武彦先生の著書「花の忠臣蔵」にもある内匠頭の『吝嗇(ケチ)』な性分が浮かんできます。
●当時の勅使饗応の接待役は大名の持ち回り制です。内匠頭は18年前にもこの役を仰せつかっておりこの時は400両で終えていました。今回のお役に対して内匠頭は検討の上700両で済ませようとしたんですね。ところが元禄10年に担当した別の大名は1200両使っていました。(すべて担当大名が負担する制度であった)
●内匠頭は1200両では多いと判断し700両と決めたようです。吉良に相談したところ「不承知、たまのご馳走役だからそんな方針ではだめ」だと。そういういきさつでだんだん不和になっていったとのこと。当然賄賂の額にも不満があったのでしょう。(高家筆頭の吉良には指南役としての愉しみでもあったのでしょうね)
●この辺りは現代でも通じる話で、脈々と引き継がれているのかもしれません。普通の庶民からすると「吉良はけしからん奴だ」という感覚でしょうね。しかし内匠頭の融通の利かなさも困ったものです。彼の意地でしょうね。
●その結果、吉良のいじめに堪忍袋の緒が切れて暴力沙汰に及んだのでしょう。
その気持ちは分からなくもありません。武士としてのメンツを潰されれば、キレてしまい激高するのは正義感が強ければ強いほど心の壁は低いと思います。
●ではどうすれば良かったのでしょうか?私は内匠頭と側近たちは4年前の相場1200両をケチらずに拠出すること。これでも物価の動きからするとそう高くはないんですね。目的は無事に勅使饗応のお役目を果たすことですから。
●そのために吉良上野介の指南が必要なのですから、少々の強欲には対応することでしょう。それが不満ならその後の吉良の仕打ちに耐えることでしたね。500両(1両10万円として5000万円)の節約なら必要な努力です。
●もう一つの道は、松の廊下で吉良を仕留めることだったでしょう。「人を殺すのに脇差を振り回してどうするんだ」というのが昔からの私の見解です。確実に殺すには刺殺でしょう。体当たりして刺せば本懐は遂げられたのに内匠頭残念!というのが私の思いです。
●この辺りは元禄の世の中、殿様が武芸をたしなむ風潮は無かったのでしょう。わめきながら刀を振り回す内匠頭が哀れに思えます。傍にいた大きい梶川与惣兵衛に簡単に羽交い絞めされる力のなさ(優男だったのでしょう)も残念です。
●浅野内匠頭の吝嗇と短慮が赤穂藩、吉良家のその後に多くの悲劇を生んだのは間違いありません。現代でも各会社の社長(殿様)が道を誤れば社員とその家族、会社に関連する人々の人生を変えてしまうことを肝に命じましょう。
●人として「正義感と責任感」は重要な資質です。多くの善人が持ち合わせていると思います。ところが現実には人には「意地」があります。それはプライド(自尊心)から出てくるのでしょう。これに囚われると過ちを犯すことがあります。
●また自分も他人も多くの人が「金」で行動が左右されることがあります。「金ではない○○○の方が大事だ」という価値観を唱えるひとがいます。ところが大概はある程度の満足すべき金が保証されてのうえでの言動が多いのが現実です。
●「意地=自尊心と金」に支配されるのが生きている人間であるというのは昔も今も変わりません。それを知ったうえで「悪を為さない善人」として生きるにはどうするか、浅野内匠頭の事例はそれを考えさせてくれます。<完>
- 登録日時
- 2016/12/17(土) 08:52