【2016年12月のトピックス】
▲ビオラの花一輪。楽器のビオラは胴の部分が花びらに似ているところから名前がつけられたそうです。ヴァイオリンより一回り大きめのこの楽器はクラシック音楽のオーケストラや室内楽に欠かせません。花言葉から島木さんを偲んで「私を忘れないで」をセレクトします。
さよなら島木譲二さん
■今朝(12月17日)の朝刊で吉本新喜劇の役者、島木譲二さんの訃報に接しました。享年72歳。2010年12月まで活躍され、その後は病気療養中だったんですね。ご冥福をお祈り致します。
●ネット記事は以下を参照ください。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161216-00000105-dal-ent
●今回この話題を取り上げたのは、私自身20数年前に島木譲二さんとお会いしたことがあるからです。当時、神戸の家電量販店の大型店に勤めていました。その店の店長だった時、イベントで島木さんに来店いただいたのです。
●普通にお会いしてればそれだけの話なんですが、その時に同時に来ていただいた池乃メダカさんとの対応の違いが凄く印象に残りました。めだか師匠には悪いのですが、当時の島木さんの対応にプロ意識を感じたのです。
●店内巡回をしていた私は偶々イベント会場に立ち寄りました。そこで販促担当者からお二人の紹介を受けご挨拶をしました。その場でのイベントは終わったようですが、担当がお二人に「次の場所でお願いします」と促したのです。
●その時池乃メダカさんが凄く不機嫌な顔で、下から見上げるように「なんやまだするんかい」と凄みました。契約の内容は不承知だったのですが、一瞬場が凍り付いたようになりました。
●私どもの担当が落ち着いて「もう一カ所お願いしたいのですが」と伝えたところ、島木さんが明るく大きな声で「ほんなら、さあさあ行きまひょ」と言ってくれました。
●メダカさんは黙って不承不承ついてこられました。島木さんが一人担当者となにやら話しながらずんずん歩いて行かれます。私はメダカさんに何か話しかけたようですが無視されました。だから余計に覚えているんです。(笑)
●次の会場につくと島木さんは一人で大声をあげ「パチパチパッチン」をやっていただきました。お客さんはそんなに多くなかったように覚えていますが、関係なく全力投球だった姿を覚えています。その横でそっぽを向いていたメダカさんとは対照的な姿でした。
●終わってから明るい笑顔でご挨拶をされお別れしました。その時の話の内容は忘れてしまいました。メダカさんは物も言わず終始不機嫌でしたね。(笑)
●メダカさんは何か気分を害されるようなことがあったのか、当日気分が乗らなかったのか、後で担当者に確認しましたが、当方に落ち度はないということでした。(担当者の言い分ですし些細なことはわかりませんでしたが)
■当時大型店の店長として社員350人、パートアルバイトを入れると450人から500人近くの従業員の長であった私は、『不機嫌の罪』というのを戒めに働いていました。確か日本海軍の長官の言葉だったと記憶しています。
●リーダーたる者の日常の言動において、自分の感情に振り回されて無意識に不機嫌になってはいけない。周りの部下たちの士気に関わるという戒めです。
常に上機嫌であれという教えだったですね。
私はそこで、店内巡回で働いている人たちに声を掛け立ち話で状況や得意なこと、手柄話や意見を聞くことを心がけました。
●続けていると自然と部下たちの顔色、心情を推察する癖が身についたものです。小売業で働くと対人関係で敏感になります。相手の気持ち、言いたいことを慮るようになります。ですから島木譲二さんと池乃メダカさんとの30分ほどの出会いが記憶に残ったのでしょう。
●島木さんのおおらかで、大きな声で自分が求められている芸をその場その場で全力投球される姿は、めだかさんとの対比で忘れることができませんでした。その後もお二人のテレビでのご活躍を拝見していました。メダカさんの方は後輩から師匠と呼ばれ今も大活躍です。
●島木さんは近年吉本新喜劇には出ておられないなと思っていましたが、病気療養のすえお亡くなりになったことを知り、残念な思いです。お二人のその後の仕事での落差に複雑な思いを持っていました。
●ですが多くの後輩に慕われ、真田丸で活躍の佐助役、藤井隆さんや新喜劇の若手座長の小藪千豊さんのコメントを聴いていると素晴らしい人柄が伺えます。真田丸のセリフにあった「結果より人間いかに生きたかが大事だ」(うろ覚えです)をささげたいと思います。
●当時他にも芸能人の方には何人もお会いしましたが、島木さんは言葉を交わし印象に残った数少ないおひとりです。ご冥福をお祈り致します。<完>
- 登録日時
- 2016/12/19(月) 10:27