【2019年01月の雑感➂】
▲雪の中のビオラ。知人からの贈り物です。花屋さんの店頭では苗が、近所の人の花壇にも花が植えられています。これから春に向けて咲き誇るんでしょう。オレンジ色のビオラの花言葉は『天真爛漫』です。可愛い女の子を連想させますね。花径4㎝までがビオラ、5㎝以上となるとパンジーです。
覆水盆に返らず
■1月17日(木)で阪神淡路大震災から24年が経過します。今年も神戸では犠牲者の追悼式典などが行われます。(少し減ってきているようですが)私の心の中では犠牲者の方々に思いは馳せますが当日の祈りで終わりです。今朝午前5時17分に目が覚め、トイレを終えて横着ですが布団の中で祈りました。
●それよりも当時震災からの復興に尽力してくれた部下の方々への感謝の思いが甦ります。本当に危機的な状況から何とか切り抜けられたのは共に働く人たちの助けがあったからこそです。本当にありがとうございました。
●私があまり深刻にならないのは、自分の身近では生命の犠牲者が居なかったことが要因でしょう。ですがあの惨事の真っただ中にいた身としては、思い出せば胸が「つん」と痛みます。ですからもう思い出したくないというのが本音です。なぜならいくら思っても決して『なかったこと』にはならない出来事だからです。
■今年の春で私が癌を罹って満4年になります。2015年の5月、突然下血をしました。近所のクリニックで診てもらったところ先生は「癌かもしれないので神戸医療センターで検査してもらいましょう」と仰いました。
●結果は進行性では無いものの直腸がんでした。ステージ3.5のB。67歳の時です。もう仕事は引退しようかな思っていた矢先のことでした。その数年前まで事実上、仕事は激減していましたが、集大成のつもりで引き受けたものがありました。
●それに少しエネルギーを使いました。また過去の知人と飲酒を伴う会食も続いていました。酒を飲むと強くないので食べ過ぎるきらいがありました。そういうことも重なっての発病だと思います。ですが、癌は数年前から発症するものです。
●2年ぐらい前に健康診断で精密検査(内視鏡検査)をするよう警告を受けていました。ですが横着して近所でレントゲン検査を受けたのです。受付のお嬢さんは「うちはレントゲンですから…(他で内視鏡検査をした方が良いですよ)」という反応をされていたのですが、そのままそこで済ませ、異常なしの診断に安心してしまいました。
●結果は2年後に癌は3cmの大きさになっていました。「後悔先に立たず」です。これも『なかったこと』にはなりません。残念。
■一転してプロ野球の話題から。さきごろ私がファンの巨人軍のFAによる戦力補強が終わりました。広島から丸外野手、西武から炭谷捕手の補強が決まり、代わりに内海投手、長野外野手が人的補償でそれぞれ西武、広島に移籍となりました。
●このことについてシーズンオフで暇なマスコミは、全権監督の原さんに疑問を投げかけています。その理由は「生え抜きの功労者をなぜ守らないのだ」というものです。プロ野球の世界で過去の功労者云々は時代遅れも甚だしい言説です。峠を過ぎた選手は引退するか、ベンチを温めるか、新天地を目指すしかないのが現実的でしょう。
●特に私が違和感を持ったのは、巨人軍OBである広岡達朗氏の週刊誌へのコラムです。広岡氏はこのFA案件をおおいに批判しておられます。広岡氏といえば中村天風先生の教えを信奉されている積極的プラス思考の方だと思っていたのに、評論に関してはマイナス思考のオンパレードです。
●どうにもならない終わったことをあげつらっておられます。この案件が失敗か成功かは今シーズンが終わってからでないとジャッジできません。それをシーズン前からけしからんと怒るのは、「広岡氏老いたり」と思わざるを得ません。
●一方、評論家の権藤博氏はこの案件を良い方向に評価されています。特に本人たちにとって今シーズンのチャンスになると。出場機会が増える(実績を挙げればの話ですが)し、新しい球団で学ぶことも増えるし、視野も広がるとメリットを挙げておられます。原監督の思惑にも理解を示されていました。
■この世の中の出来事は、やってみないと結果は分かりません。それをやる前からダメ出しするようでは何でも反対の野党のようです。評論家の中にはどうしてどうにもならないことをあげつらってマイナス評価をする、そしてそれで報酬を得る人が多いのだろう、軽い怒りを覚えます。これもいくらぼやいても『なかったこと』にはならないからです。
●そんな広岡氏ですが、傾聴に値する提言が一つありました。それは、巨人軍は優秀なコーチを育てることに尽力せよということです。これには賛同します。殆ど生え抜きで固めるコーチ陣、その方々が野球の技術+コーチングに優れているかといえば疑問です。
●広岡さんには、優秀なコーチとはどういう人か、コーチング技術のコツは何か、を具体的に提言してもらいたいものです。現象だけとらえて問題点のみを指摘する「ぶった切り評論」は何ら意味がありません。当事者はそれを聞いて「なかったこと」にはしないからです。
■ここまで『なかったこと』にはならない3つの事例を取り上げて、ことわざ『覆水盆に返らず』について考えてみました。念のためウィキペディアで言葉の由来を確認しておきましょう。
覆水盆に返らずとは・・・
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)は、ことわざの一つ。下の由来から、「一度離婚した夫婦は元に戻ることはできない」、転じて「一度起きてしまったことは二度と元には戻らない」と言う意味。覆水収め難し、覆水不返()(ふくすいふへん)、覆水難収、覆水不可収とも。
由来[編集]
太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。太公望が周から斉に封ぜられ顕位に上ると、女は太公望に復縁を申し出た。太公望は水の入った盆を持ってきて、水を床にこぼし、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。女はやってみたが当然できなかった。太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻ることはない。それと同じように、私とお前との間も元に戻ることはありえないのだ。」と復縁を断った(出典は後秦の時代に成立した『拾遺記』によるとされる)。中国語の「盆」(拼音: pén)は日本語の「お盆」ではなく、鉢、ボウル状の容器のことである。
この話は太公望の数多くの伝説の一つであって、必ずしも史実とは限らない。(理由: 前漢の人物である朱買臣について、同様の逸話がある。太公望が生きていた当時は、まだ書物がほとんどない時代である。)
●本来は男女の結婚・離婚に関する話なのですね。知りませんでした。(笑)人に話す時は本来の意味合いを伝え、それが転じて私が言うような意味にも使われているのだとしないと正確には伝わらないですね。反省。
■この話題のオチは、起こしてしまった結果には、それを受け容れ前向きに進もうということです。プラスの結果であればそれを推進力にさらに前進を、マイナスの結果であれば「後悔せず、反省を生かして改善する」という心意気と行動が必要だということです。
●ややもすれば弱気になりがちな気持ちを見つめ直しているうちに思いつきました。今回私の抗がん剤はイリノテカンを1.2倍に増やしましたが、副作用に大きな変化は見られず、13日(日)ぐらいから投薬前に戻りつつあります。
■12日(土)にはブックオフに蔵書を持って帰ってもらいました。今回も200冊強ありました。前回7月に売った時も200冊強でした。買い取り価格はいずれも6,500円ほどでしたね。1冊5円というゴミ並みの価格が付いたものも多く、本というのは読む人が使ってこそ価値があるものだと改めて思いました。
●次回は3月ごろにまた200冊ほど売ります。随分と部屋の見通しが良くなってきましたがまだまだ不十分です。それに懐かしい本が出てきたりして困っています。「ザ・ゴッドファーザー」「それからの武蔵全6巻」「俯き加減の男の肖像」ジョージ秋山作の「コミック空海」など、困った、困った。(笑)
●そういえば阪神淡路大震災の後、殆どのものを処分したのを思い出しました。虚しくなりモノに対する執着が消えた記憶があります。それが24年経ってまたモノがあふれかえったのですからしょうがないですね。(笑)
●その後4年間ほど家庭菜園を借りて「野菜づくり」に打ちこんだものです。今から24年前、47歳のころでしたね。今回の本の処分で野菜作りテキストが数冊含まれていました。私にとって良い思い出でした。
■横綱稀勢の里関が引退しましたね。私の想定範囲内のできごとです。これでなぜかほっとしています。この2年間は残念な思いと、出てくれば「ハラハラ、ドキドキ」でファンとしてはストレスのたまる横綱でした。
●しばらくして大相撲と私の最後のファン「稀勢の里」について本欄で書きます。今日明日はマスコミで大きく取り上げられていることでしょう。とりあえず思うのは苦しかったんでしょうね。可哀想にと。お疲れさまでした。新聞によると本人は「一片の悔い無し」と言っているようですが、それは嘘でしょう。(笑)<完>
- 登録日時
- 2019/01/17(木) 10:03