私が選んだ4月のトピックス
神戸は暖かい日と花冷えの日が交互にやってきている今日この頃です。近所の桜の花も開花し、2週間ばかり美しく咲き誇ります。年に一度しか会えないからこそその美しさに惹かれます。
春は別れと新しい出会いのときです。正月とはまた違った新しい気分になります。今月のトピックスは珍しい「緑色の桜」の紹介と春にちなんだ「良い言葉」のご紹介いたします。
その1:桜の花はピンク色だけではなかった。
■知人から緑色の桜の花の写真をもらいました。どこで咲いているのかご本人も失念されており、京都だということしかわかりません。Webで調べると緑色の桜には三種類あるそうです。①御衣黄(ぎょいこう)、②鬱金(うこん)、③黄桜(きざくら)の三種ですが、写真は①でしょうか?
■桜の花はピンク色だとばかり思い込んでいました。知ればそうかと思うのですが、知らないと既存の知識で物事を判断するものです。いくつになってもいろんな体験をし、学習をして既成概念にとらわれないようにしたいものです。新しい環境に赴くことはそういったチャンスでもありますね。
その2:春に贈る「良い言葉」のおすそわけ
■春になって親しき知人や子供たちの身辺に新しい変化がある時に、「言葉の贈り物」をすることがあります。皆様にもそれぞれに大切な言葉がおありだと思いますが、とっておきの私のストックから2つご紹介いたします。
■春風や 闘志抱きて 丘に立つ 【高浜虚子】
私は自分も含め男性に贈ります。女性にはどのような言葉が良いでしょう?
■聖書より「狭き門」 【東京大学名誉教授 木村尚三郎】
先生は一昨年お亡くなりになりました。かつて新聞に掲載されたものです。
「狭き門」というとふつう、有名大学、一流企業などで競争が激しく、入りたくてもなかなか入れない難関を指す。しかしこれは、全くの誤用である。
この言葉をポピュラーにしたのは、アンドレ・ジッドの小説「狭き門」(1909年)である。
年上の従姉アリサを愛した主人公は、全力を尽くして恋を成就させようとするが、結局年上ゆえに拒絶に遭う悲劇である。そのような一般人の求めぬ門こそが、聖書でいう「狭き門」である。
出典はジッドの引用するルカ伝第13章24の「力を尽くして狭き門より入れ」ならびに、より一般的には次のマタイ伝第7章13、14である。
「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広く、これより入る者多し。生命にいたる門は狭く、その道は細く、これ見出す者少なし」
誰にも自明な大門が滅びにいたるのに対し、天国の救いにいたる門は狭く、地味で見つけにくい。希望者の殺到する有名大学、一流企業が、「狭き門」であるはずがない。だれもが目指す門でしのぎを削る精神は、安易である。誰もふりむかぬ世界の片隅で己を磨き明日に生きようとする心こそ、本当の「狭き門」への道である。
ヨーロッパの田舎を歩いていて、なかなか教会の入口がわからず、ぐるりと一周してしまう経験は少なくない。入口は文字通り「狭き門」となっていて、ここより薄暗い堂内に入れば、それまで働いていた目の機能は後退する。代わって聴覚や嗅覚、触覚などが働き出し、そこから確かに思いもかけぬ別の想念、別の世界が広がっていく。それは狭いにじり口からの、茶室の世界と通い合うものがあろう。
私は広き門でしのぎを削ることも否定はいたしません。私の価値観は木村先生が書かれている「狭き門」を歩み、生き抜くことです。
- 登録日時
- 2008/04/01(火) 11:34