【2020年01月の提案①】私の体験的マネジメント論 第10回
▲家の周りのさざんかの花も散り始めました。美しい花だけに晩期はその面影もなく汚れています。桜の花のように潔くは散らない花なんですね。わずかの期間でしたが目を楽しませてくれました。ありがとうの気持ちを込めて陰に隠れて咲いている美しい花を二輪、撮影しました。
リーダーシップについて学んだこと<その1>
■もともと天性のリーダーシップ能力が低いと自認していた私が、仕事と学習を通じて学んだのが「リーダーシップ」でした。現役を引退した今、あらためてリーダーシップについて語ることに躊躇を覚えます。それは十分に学び発揮したとは思えないからです。しかし、体験を通じて身に着けたであろうことをレベルはともかく何とか書き残せそうです。(本欄は私の備忘録みたいな性格もありますので)興味があればご笑覧ください。
●子供のころから他人の尻について動く方が多かった私です。近所にも子供が多くよく集団で遊んだ記憶があります。そこでの私は自ら他人や集団をリードしたことはほとんどありませんでした。そうしたいという欲求もなかったですね。
●中学性の時も高校生の時も小集団のグループには加わっていましたが、そこでは友達関係であって支配や従属の関係はありませんでした。私が率先することもなかったように思います。自分一人で好きなことをするのが快適でしたね。
●ところが就職して3年目で売場主任になり、4年目で店長になることで無理やりリーダーの立場にたたされました。もう詳しくは覚えていないのですが、ただ真剣に真面目に仕事に取り組んでいた記憶はあります。
●その性質みたいなものだけがリーダーとして仕事ができた要因だったかもしれません。ドラッカー先生もリーダーにとっての重要な資質のひとつは「真摯であること」と仰っています。当時ほとんどの人がそうであったように思いますが。(笑‐自慢するほどのことでもありません)
●20代は夢中で仕事をしていました。リーダーシップを自覚することはあまりなかったですね。30代では本社スタッフの仕事につきました。この時代は教育担当や全社運動の推進事務局でしたから結構やりがいがありました。特に教育担当としては仕事を任されていたのは充実した日々でしたね。
●教育担当時代には外部講師を招いてしばしばリーダーシップに関する研修を行いました。事務局として参加する研修で私は多くのことを座学で学びました。また数々の著書にも触れました。他流試合の社外研修でも学びました。本欄でも何回か書きました組織開発の体験学習は33歳の時でした。私の人生では一大事でしたね。やはり学びは座学より体験学習、そしてなによりも実戦が一番です。
●その実戦で学ぶ機会が40歳の時に訪れました。スタッフから営業現場への転出です。この最初の異動後の会合のことも何度か書きました。ここから私のリーダーシップ体験と学びは本格的に始まったと言えるでしょう。
■40歳でエリアマネージャー、43歳で大型店の店長、4年目で阪神淡路大震災に遭遇、店は半壊しました。もう25年も前になるのですね。47歳でまたもや人生の一大事です。復旧作業後3月には外商部のサブマネージャーに異動でした。(社内では左遷という評価でしたが、私も再建から外され残念でした。ですが外商部は街の復興に貢献できるビジネスでしたし、優秀な部下にも恵まれ頑張れました)
●外商部で2年か3年居たのでしょう。このあたりの記憶は曖昧です。直接営業に出ることは少なく、部下に同行を頼まれての得意先へのあいさつ、大きなクレームへの対応ぐらいが外出機会でした。それ以外は事務所で電話番(これがとても多かったですね)、営業マンの携帯用の価格台帳の印刷と製本が主な仕事でした。
●単調な仕事が多かったんですが楽しかったですね。下座に立つという心境でした。他社への転職を勧めてくれる方もおられましたがすべて断りましたね。保守的な性格のせいでしょうか。長いこと勤めた会社を立て直したいという心意気は持っていましたから。
●50歳前後の時に本社に呼ばれました。商品部長としての異動です。この時の所信表明と今後の方針は気合がこもっており、いまだにパソコンにデータが保存されています。しかもこの時点で自分なりに家電ビジネスのノウハウをまとめていたんですね。いつ作ったか忘れましたがいまだによくできていると思います。(笑)
●結果、その時の年末商戦では大きな成果をあげられました。決め手は商品力マップの導入とそれに基づく品ぞろえ、重点販売機種の陳列、三択、5択理論、
等をバイヤーと共有できたのが大きかったですね。店の品ぞろえが魅力的になったのです。
●ですが数か月で在庫削減指令が出て理想の商品力マップはやせ細らざるをえませんでした。資金繰りが厳しくなった当時の会社としてはやむを得ない指令だったのでしょうが、私にそれを解決する策とリーダーシップが不足していたのも事実でしょう。今思うと残念な思い出です。
●その後、2年くらいで商品部長はくびになりました。当時の二代目社長とは相性も悪くコミュニケーション不足でした。クレーマーだったが親しくしていた方から「あんたの目的はなんや、それを達成するんやったら社長でも利用するという考えに立たなあかん」と諭されました。
●当時、理屈は分かっていても実行できませんでした。結果、携帯電話を販売する通信事業部に異動になりました。2年ほどやりましたがこの時の縁で退社後独立してコンサルタントになってからこの業界で10年近く仕事をさせて頂きました。
●通信事業部はその後部下だったMさんが立派に継承していただいて発展されました。彼との店回りは愉しい思い出です。兵庫県下をよく走ったものです。外食も楽しく快適な日々でしたね。ちなみに皆さんのお陰で業績も良かったから文句を言われることはありませんでした。
●やがて2002年に会社は民事再生法を申請して事実上倒産しました。私が本格的にリーダーシップを発揮する立場になってから約15年の歳月が経過していました。全てを記録していたわけではありません。今回記憶を頼りにリーダーシップ体験を振り返りました。最後に思い出したことの教訓を項目にしておきます。
■15年間で学んだリーダーシップ体験は、①コミュニケーションの重要性、特に1対1は欠かせない。(尋ね、聴く、答える)②現場を巡回して実態を把握して考えること、思い込みや根拠のない指摘は反感を買うだけ。(仕事研究発想)➂偉そうに説教するより部下が課題を見出せるように質問すること。(質問が人を動かす)
④部下から良い手段が出ない時は視点を変えるとか、お客様の立場から考えるなどのヒントを与えて答えを見出させる方が実行につながる。(思考の工夫)⑤情報を共有し、部門間の競争を刺激する。(競争原理で人は動く)⑥部下の得意分野は進んで教えてもらい良いことは賞賛する。(人は喜んで教えてくれる)
⑦私自身はできるだけご機嫌であること、不機嫌は罪だと自戒していました。(リーダーの機嫌は職場の空気に作用する)⑧部下からの情報を重視し、クイックレスポンスを心がけること。(雨が降れば傘をさす)⑨目的(ねらい)は何かを問い続けることで気づくことが多い。<ねらいと根拠は王道の問い>
⑩部下が困っていること、嫌がることを逃げないで引き受けること。特にお客様からのクレームは引き受けました。おかげで精神力は鍛えられましたが、またやりたいとは思いませんね。(笑)
⑪自分一人ではすべてできない。任せられる人、助けてくれる人を補佐役として傍にいてもらうようにすること。大型店ではクレームの専門担当がおり随分と助けてもらいました。(ありがとうございました)
⑫空間軸発想(全体→部分→細部→見えない部分)と時間軸発想(クイックレスポンスと3か月先行計画、売る前、売る時、売った後等でリードする。
⑬共に汗を流し、共に考え、共に成果を上げて喜びを分かち合うことを心がけること。(共通体験は組織の結束力を高める)
●いまランダムに思い出して書いています。13項目あげましたがもっと他にも学んだかもしれません。15年で13個では少ないかもしれませんが、すべて体験から学んだことです。リーダーシップの教科書に書いてあることではありません。(書いてあるかもしれませんが-笑)次回は教科書に書いてあることで私が共感したことを紹介しましょう。<完>
■中国ドラマ「三国志」がBS12で放映され久々に嵌まりましたが、今週木曜日で最終回を迎えます。皇帝の劉平、幼馴染の司馬懿仲達、有名な曹操、その息子の曹丕たちのリーダーシップも学べました。さて最後はどうなるのやら、物語は私の予想通りになって欲しいのですが。
- 登録日時
- 2020/01/13(月) 10:56