【2020年8月の雑感②】
▲夏は向日葵ともどもユリの花もよく見かけます。私の散歩道には写真のような百合が野草のように咲いています。スレンダーで美しいですね。私好みです。(笑)暑さを一瞬忘れさせてくれます。それにしても暑いですね。ご自愛ください。
競馬:私の思い出の名勝負レース【前篇】
■少し前のことですが、テレビで「平成の名勝負レース50」というのをやっていました。競馬の話です。過去のテレビ実況アナウンサーである杉本清、馬場鉄志、三宅正治の3氏が対談形式で個々のレースの思い出を語っておられました。
●馬場さんが異常に太っておられて興味が削がれました。(笑)ご本人の勝手なのでとやかく言うことではないのですが,一視聴者としては健康に悪いのではないかといらぬ心配をしました。
●50ものレースですからレースはダイジェスト版です。一応すべて観ましたが残すまでもないと録画を消去しました。ですから記憶からは消えてしまいました。たしか同じ内容のものが雑誌で発売されていたと思います。
■そこで競馬ファン歴60年の私の思い出の名勝負レースベスト10を書こうと思い立ちました。10分ほどで10レースは抽出できました。それをここで紹介しておきます。私の備忘録にもなりますので。この文章を書いている時はワクワクしていました。ですが興味のない方はスルーしてください。
●1:シンザンの有馬記念(第10回)昭和40年12月26日
一番印象に残っているのが直線で加賀武見騎乗のミハルカスに、大外にぶん回されたシンザンがしばらくテレビの画面から消えたことです。「あっ、らちにぶつかる」と思った記憶があります。数秒後に画面にシンザンの姿が見えた時は「おおっ」という驚きと「やったあ」と思いました。安堵とうれしさが込み上げましたね。
この時の関東馬は強敵ぞろいで、ミハルカス、ハクズイコウ、ヤマトキョウダイ、ブルタカチホ、ウメノチカラなど強そうで恰好のいい名前の馬が揃っていました。関西馬はシンザンとヒカルポーラだけだったと記憶しています。今と違って東高西低だったんですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=mdHvvWME7yE
●2:ディープインパクトの春の天皇賞(第133回)平成18年4月30日
一番の記憶は2周目の3コーナーでスーッとディープがまくり気味に先団にとりついていった脚です。一頭だけ次元の違う脚で上がっていく姿に一瞬「おおっ大丈夫か」と思ったものです。4コーナーで上がっていくなら普通ですが、3コーナーです。残り800mはあったのではないでしょうか、しかしディープはそのままの勢いで直線を向いても後続を引き離してゴールイン。凄い馬だと改めて思いました。テレビの解説で井崎脩五郎さんが笑顔で感嘆されていたのを記憶しています。
https://www.youtube.com/watch?v=3qCKIERXSm4
●3:キタサンブラックの春の天皇賞(第155回)2017年4月30日
前年に続き春の天皇賞を2連覇したレースです。この馬は途中先頭に立って逃げ切ることが多いのですが、テレビで見ているとそんなにスピード感を感じさせないのです。サイレンススズカのように華麗に逃げて直線で引き離すという派手なレースもしません。ですが卓越したスピードがあるんですね。
500キロを超える大型馬ですから重戦車のように進んでいくんです。レースが終わると凄い時計で走ったことが分かります。ディープの春天のレコードを破ってしまうなんてなんて凄いんだと思いましたね。その時一緒に走った馬たちはその後疲れからかしばらく不振に陥ったようです。
https://www.youtube.com/watch?v=3rEsOWhaaM8
●4:カツラギエースのジャパンカップ初制覇(第4回)1984年11月25日
ジャパンカップは当初外国からの招待馬が強くて日本馬は歯が立ちませんでした。この年は三冠馬シンボリルドルフ、ミスターシービーの参戦で初めて日本馬が勝つのではとの下馬評でした。勿論私も大いに期待していました。ドキドキしてテレビ観戦に臨んだのを覚えています。
この時、神喰という名の競馬記者が一人だけぽつんとカツラギエースに本命印を打っていました。レースはスタートするとカツラギエースがすっと先頭に立ちました。そこから大逃げです。まさか逃げ切るとは思いませんから直線が勝負と思って観ていました。ところがカツラギエースはまんまと逃げきってしまったのです。凄く驚いたのを覚えています。日本馬が初めて勝つなんて、しかも関西所属の馬です。日本期待のルドルフではありませんでしたが。神喰記者が関係者におそらく自分は本命にしたと喋っている姿がテレビに映し出されていたのを妙に記憶しています。
https://www.youtube.com/watch?v=T_TUt813T7w
●5:オルフェーブルの凱旋門賞(第91回)2012年10月1日
日本の競馬関係者にとってフランスの凱旋門賞制覇は見果てぬ夢です。ディープで初制覇を逃がした池江泰郎調教師の息子の泰寿師が満を持して送り込んだのが三冠馬オルフェーブルです。4歳のオルフェは充実期を迎えていました。ですが気の悪さも持ち合わせる難しい馬でした。私が阪神競馬場で阪神大賞典を生で観に行ったとき、この馬は4コーナーで外へ逸走し、すわっ故障かと思わせました。それでも思い直したのか再度エンジンをかけ2着に入線しました。
凱旋門賞はテレビで観戦でしたが、直線を向くとオルフェは先頭に立つではないですか。思わず「やった」と一緒に観ていた息子と叫んでいました。ところがゴール寸前でオルフェは内らち沿いによれて行って、後続馬に抜かれ2着になりました。当時騎乗した外人騎手(スミヨン)を罵ったものです。(笑)
オルフェは翌年も挑戦しましたが今度は優勝馬に5馬身も離される完敗でした。
それにしても惜しいレースでしたね。<後編に続く>
https://www.youtube.com/watch?v=WNbcbFAQqSY
- 登録日時
- 2020/08/15(土) 11:34