【2020年8月の雑感➂】
▲前回と同じユリの花。種子が飛んであちらこちらで咲いているんですね。前回はアスファルトに咲いていましたが今回は別の場所で咲いていたのを撮影しました。
競馬:私の思い出の名勝負レース【後篇】
■8月17日(月)は定期診察で病院に行ってきました。この2週間は抗がん剤が休薬期間中なので体調は普通でした。ただ暑さはたまりません。我が家ではエアコンは午後4時から11時までと決まっているのでそれまでは扇風機のお世話になっています。午前中の病院は天国でした。(笑)
●血液検査の結果、白血球(好中球)の数値が規定値以内だったので本日夕食後より抗がん剤「ロンサーフ」を服用します。5日間投薬2日間休薬そして5日間投薬です。8月29日(土)の朝食後までです。また少し副作用で食欲が減退するかもしれません。ですが薬のお陰で命がつながれているようですので我慢の時です。
●今日も2時間近く待って10分の診察でした。老化でしょうか尾骶骨の当たりが痛みます。長時間座るのが苦痛になってきました。先生は携帯用の座布団を持たれたらどうですかと言われます。有益なアドバイスとは思われません。一瞬、テレビ通販で売っているハニカム構造のものを買おうかと思いましたが。(笑)
■競馬:私の思い出の名勝負レース後編です。
6、ナリタブライアンvsマヤノトップガンの阪神大賞典 1996年3月9日
https://www.youtube.com/watch?v=hOghLZILV_I
ナリタ、マヤノの2頭による直線でのデッドヒートは忘れられません。とても力が入った観戦でした。3コーナー過ぎでマヤノが先頭に立ち、4角手前でナリタが並びかけるというレースです。他の出走馬のレベルはあまり高くなく2頭が図抜けていました。ナリタを応援していましたがゴールまで息詰まるデッドヒートに酔いしれましたね。こんなレースはなかなか見られません。ナリタブライアンがこの後早逝したのが残念でした。兄貴は長生きしたんですがね。
●7、アーモンドアイのジャパンカップ 2018年11月24日
https://www.youtube.com/watch?v=zXr-CnHyA7g
この年牝馬3冠のアーモンドアイが古馬相手のジャパンカップで2分20秒6の世界レコードで駆け抜けた驚異のレースです。東京競馬場の2,400ⅿではだいたい2分23秒から25秒台が勝ち時計です。それを今まで観たことのない2分20秒台で勝ったのですから驚きました。レースは逃げた牡馬4歳のキセキの貢献が大きかったですね。57kgを背負って53kgのアーモンドに1馬身4分の3差は03秒差に相当します。負担重量4kg差を考えるとキセキは大健闘です。アーモンドアイはこれでG1レース4勝、この後G1を3勝して現在計7勝になりました。今年の秋に史上最多のG1レース8勝を目指して頑張ってくれます。楽しみな一頭の今のところベストレースでしょう。
●8、テンポイントの有馬記念(第22回) 1977年12月18日
https://www.youtube.com/watch?v=PpFkAWvCDzo
これは見事なマッチレースです。関西馬テンポイントと関東馬トウショウボーイの一騎打ちです。このころも競馬は東高西低の時代です。関西の星テンポイントにシンパシーが強かった私はぜひとも勝ってほしかったんです。この年の夏の宝塚記念は阪神競馬場で生観戦しましたがトウショウボーイが圧倒しました。その後テンポイントは馬体が成長し強くなっていきました。
今度こそと思って観たレースです。スタートしてしばらくすると2頭のマッチレースになり、抜きつ、抜かれつでゴールまで、ハラハラドキドキして観た記憶があります。ゴール前テンポイントが舌を出しながら1着でゴールを駆け抜けた時は感動しましたが、苦しかったんだろうと思いましたね。
今ならこれで春まで休養ですが、テンポイントの関係者は翌年1月の大寒のころの日経新春杯に67キロの負担重量で出走させ、雪の中でテンポイントは骨折してしまいました。その後3月ごろまで治療されましたが帰らぬ存在になってしまいました。当時怒りと悲しみを感じた記憶があります。
●9、オグリキャップのジャパンカップ(第9回) 平成元年11月26日
https://www.youtube.com/watch?v=f-oDuC0zHiM
これも忘れられない1戦です。まだ外国からの招待馬が多く参戦していたころです。日本馬はオグリキャップやスーパークリークが有望視されていましたが、やはり外国からの招待馬は強力だというのが下馬評です。地方の笠松競馬場から中央へ転厩したオグリは快進撃でしたが世界に通用するとは思っていませんでした。
レースは外国馬イブンベイがすっ飛ばし早い時計で進んでいました。直線でニュージランドから参戦の牝馬ホーリックスが先頭に立った時はやられたと思いましたが、外からオグリキャップが追い込んでくるではないですか。テレビの実況アナの大川和彦さん(フジ)が「オグリ頑張れ!オグリガンバレ!」と絶叫しているのにジーンときました。大川さんはオグリが好きだったようです。(馬券を買っていたのかもしれませんね‐笑)
走破時計が当時の世界レコードの2分22秒2でした。これにも驚きましたね。
●10、最後はサイレンススズカの毎日王冠 (第49回)1998年10月11日
https://www.youtube.com/watch?v=7TgsFfuizs8
GⅡレースですが関西馬サイレンススズカが関東の2強であるグラスワンダーとエルコンドルパサーに完勝した気持ちの良いレースでした。希代の逃げ馬サイレンススズカは3歳時やんちゃでクラシックレースは無縁でした。古馬になり強くなりました。阪神競馬場で宝塚記念(G1)を完勝した時は生観戦でした。
最後にこの馬とレースを取り上げたのはこのあとサイレンススズカは秋の天皇賞でレース中に故障を発症して亡くなったからです。私は毎日王冠のサイレンスのレースが見事だっただけに天皇賞の騎手武豊のレースぶりに静かな憤慨をした記憶があります。毎日王冠では1000ⅿ通過が58秒台(これでも今の競馬では速い、59秒から1分が妥当)それで引きつけ直線で二の足を使う戦法で見事な勝利でした。ところが天皇賞では1000ⅿを57秒でぶっ飛ばしています。後続との間も離し過ぎです。騎手は舞い上がっていたのかと思いました。
今や世界の武豊です。当時も今も私のように武豊のミスではないかとは誰も言いません。
但し私の推測であり因果関係に根拠はありませんが、私は名手のミスとして記憶しています。「過ぎたれば及ばざる」の如し。テンポイントとサイレンススズカは今でも人災だと思っています。
https://www.youtube.com/watch?v=aU6RuiA726Y(サイレンススズカの事故)
■競馬に関しては60年のファン歴ですからまだまだいろんな思い出があります。全てを語っていたのではやり過ぎです。思い出の名勝負を自分なりの思いの強さに従い10個に絞りました。あまり迷いはありませんでした。しかも文章にするのが楽しかったですね。ほとんど調べることなく書けました。好きなことをしていると疲れません。(笑)
●ただレースは映像で見るのが一番ですからユーチューブのURLを転載しました。興味のある方は楽しんでください。競馬は良いですね。馬券には弱い私はスポーツとして競馬を楽しんできました。<完>
- 登録日時
- 2020/08/18(火) 09:34