【2021年09月の雑感①】
▲散歩もできなくなり草花の撮影もままなりません。以前のアルバムからチョイスして掲出します。この時期はコスモスの花が綺麗でしょうね。
お別れの記<1>現状のご報告
■今日は9月16日。先月8月16日に神戸医療センターの主治医の先生から余命宣言を受けました。「早いと1か月、長く持っても3か月」ということでした。
でも1か月はクリアしましたね。(笑)7月に入って急激に体調が悪化していたので覚悟の上でした。その後の経過から書きます。
●7月に入って腰の痛みは激痛になり、歩くのもままならなくなりました。家内に車で病院に運んでもらい整形外科の診察を受けました。初診でしたので先生は腰痛対策として「ブロック注射」を打たれました。何とか歩いて帰りましたが翌日には痛みが激しくなりました。土日でしたので月曜日に再度病院に行きました。
●レントゲンでは第12胸骨の圧迫骨折以外は判明しません。そこでMR検査をしてもらいました。すると第12胸骨は真っ黒に映っており、先生は「癌の転移ですね」とのこと。「手術をした方が良いですね」と言われました。
●同時に放射線科の受診もすることになりそこの先生は「まず放射線治療をしましょう」と仰いました。その後病院の方でカンファレンスをされたのでしょう「まずは放射線治療をしましょう」ということになりました。
●そこから5日間放射線治療をしました。確かオリンピックの開幕のころでした。副作用なのか何回か治療後に嘔吐をするようになりました。歩くのもままならず病院内は車椅子で移動しました。
●腰の痛みはあまり変わらず「痛み止めの薬」を数種類飲むことで凌ぎました。同時に痛み止め薬を飲むと「便秘」になります。下剤を飲むと出ますが時々下痢にもなります。それがまた苦しい。食欲も下がり痛みをこらえて過ごす日々でした。
●太ももから下も痺れて寝起きには歩くのがままなりません。何度も転倒しそうになります。壁を伝いながらや四つん這いで室内を移動です。特にトイレは2時間に1回はもよおすので大変でした。
●8月に入って外科の方で定期の「CT検査」をしてもらいました。胸部の癌の進行が心配です。結果は余命宣言につながるほどの悪化でした。癌細胞は3から10個に増えて、一つ一つが大きくなっていました。主治医の先生は「もう抗がん剤ロンサーフが効かなくなっていますね」「もう投薬は止めましょう。副作用で苦しむより好きなことをして生きてください」とのことです。
●平均生存月数9か月の「ロンサーフ」で私は2年半も生き延びました。先生も「よく頑張っていただきましたからね」とほめてくれました。あまりうれしくはありませんが。
●冒頭に書きましたように事実上の「余命宣言」でした。ですが整形外科の先生と放射線科の先生は「腰の痛みを和らげ、快適に余生を過ごせるようにしましょう」と仰ってくれています。
●過日2度目のMR検査をしてもらいました。ですが検査中に2度も嘔吐するありさまです。だいぶ弱っているようです。それにもうひとつ胸骨が黒くなりかけています。次々と骨にも転移するのでしょうか。心配です。
●今日は薬が効いているのか、特注のコルセットを付けてパソコンに向かえています。思い切って本稿を書いています。ですがもう痛みが増してきています。
●明日は家内に病院についいて行ってもらって「手術をするか、このまま痛み止めでごまかしながら生きられるだけ生きるかの相談をする日です。前回放射線科の先生は「90%は良くなるから手術をした方がいいですよ」と仰いますが、家内は反対です。体が持たないのではと心配をしてくれています。
●最後は自分が判断しますが難しい所です。いくつかの質問事項をまとめたので整形外科の先生に相談してそれから決めたいと思います。近いうちにこの世から消えることは分かっていますが、できるだけ快適に余生を過ごせるか、痛み止めの力を借りて少し苦しいが生き抜くかの決断が求められています。
●ようやくここまでこの2か月半の状況を書くことが出来ました。私の体調を心配して下さるかたにはおおよそ分かっていただけると思います。多くの方にご厚情をいただきお世話になりました。私はまもなく一足先に旅立ちますがそっと見送ってください。
●あの世など信じていない私です。ご縁のあった方のこころの中に少しでも記憶されていたなら時々思い出してください。そして自分は健康にできるだけ長生きするぞ、この世を愉しむぞと思って頂ければ私は幸せです。最後までお読みいただきありがとうございました。<完>
- 登録日時
- 2021/09/16(木) 15:48