【4月のトピックス②】
競泳 萩原智子の復活への挑戦
●競泳の萩原智子選手が5年ぶりに30歳でカムバックしました。先日の日本選手権で50m、100m自由形でいずれも3位に入り、8月のパンパシフィック選手権のリレーメンバーを想定して代表に選ばれました。
●彼女は2000年9月のシドニーオリンピックの代表に選ばれましたが、期待されながらわずかにメダルには届きませんでした。次の04年アテネオリンピックでは残念ながら標準記録に少し足らず代表に選ばれませんでした。その年彼女は現役を引退してしまいます。
●その後は結婚をされ、仕事は現役選手の取材活動となりました。そんななか08年北京オリンピックを取材していて、突然現役カムバックを決意されます。翌09年6月に正式に復帰した萩原選手は今年の日本選手権をめざすことになります。
●現在はご主人と別居して合宿生活だそうです。目標は12年のロンドンオリンピック出場とメダル獲得です。以上は先日のテレビ報道ステーションの中で松岡修造氏が萩原選手にインタビューをされてた中での前段です。
●なぜ30歳にもなっての復活か?(水泳選手の多くは10代から20代前半が現役の寿命です)そういう問いかけから僅かの時間のインタビューでしたが、私は彼女の復活への決意の理由に注目しました。
●普通では考え難い5年のブランクを経ての復帰の原動力は何か?それは・・・
選手を辞めて、取材者という立場になって見えてきたものがあるという。それは、「他の選手の長所を見つけることができるようになった、他の人の意見を素直に受け容れることができるようになった」と表現されています。
●つまり「客観的な視点」が持てるようになった、それを受け容れて現役時代の自分とはどのように違ったのかに興味を持てたということです。なぜそうなったのかというこころの深い動きについては語られてはいません。
●おそらく研究熱心な性分をお持ちだったのではないかと思います。あるいは通り一遍の取材活動ではなく取材者の役割をきちんと踏まえておられたのかもしれません。(下手な野球解説者は感想とかファンの代弁みたいなことしか話しませんが、上手な解説者は、プレーの背景、意味づけ、根拠を話してくれます)
●テレビでは彼女が気づいた優秀な成績の選手と自分との違いをVTRで紹介していました。そのひとつが、良い選手と比べると萩原さんの水をかく手が、水中に入ってからかき始めるまでの時間が少し長く、一呼吸遅いのです。
●どこが悪いのかがわかれば、あとはそれを直せるかが課題です。技能はわかっていてもできないことが沢山あります。私達も同じです。「言うは易し行なうは難し」は周知のことです。
●長年の努力で身についた習慣は簡単に直せません。特に競技スポーツでは難しいのでしょう。しかし、彼女は人生で初めてフォームの改造に取り組む決心をします。
●ではなぜ行動に移せたのか?萩原さんは北京オリンピックの取材で2つのきっかけがあったと言います。ひとつはあの開会式。そこでの感動は彼女だけのものです。その感動に衝き動かされたと。もうひとつは日本の女子自由形陣がひとつもメダルを取れなかった悔しさだそうです。
●09年6月までの復帰への準備もされたのでしょうが、本格的にはこの半年がトレーニングでした。苦しさのあまりプールサイドで吐いている映像が紹介されていました。その結果、先の日本選手権では記録は及びませんでしたが、パンパシフィックへの代表入りを果しました。
●目標が明確です。12年ロンドンオリンピックまでの2年計画で猛練習を行い、出場しメダルを獲るというものです。今は合宿生活、毎日日記を書いてやる気と技能のパワーアップに頑張っているそうです。
●オリンピックに出てメダルを獲るという目標があるからだけで頑張れるのではないと思います。何をすれば自分は目標達成に近づけるかがわかったからでしょう。ゴールも大事ですが、【当面の取り組む課題がわかり、それが成功への可能性を期待させるもの】だから頑張れるのでしょう。私達の仕事においても同じではないでしょうか。<完>
- 登録日時
- 2010/04/23(金) 12:36